【メディアディレクターコラム】第23回「柔術を始めた当初のこと」
【メディアディレクターコラム】第23回「柔術を始めた当初のこと」
メディアディレクターコラム

久しぶりの更新となってしまいました、メディアディレクターコラムです。
私事ですが、柔術歴が27年目に突入しました。
99年の10/28が自分の柔術記念日で、26年前のその日にパラエストラ松戸(現THE BLACK BELT JAPAN)にて柔術を始めました。
当時はまだ柔術が学べる場所はそう多くなく、東京ではパラエストラ東京、グレイシージャパン(現AXIS)、そして正道柔術ぐらいしかなかったように記憶しています。
そして当時も今も、東京と千葉の境目である江戸川区小岩在住の自分は、どこに通うにも片道1時間はかかる距離で、とてもではないけど電車で往復2時間をかけて柔術を習いに行くモチベーションはなかったため、柔術の興味はあったものの、なかなか踏ん切りがつかない日々を送っていました。
そんなときに目にしたのが格闘技通信だったか、ゴング格闘技だか、格闘技雑誌で目にしたパラエストラ松戸オープンのニュース。
松戸は小岩からは自転車でも1時間程度で行けるので中学生の頃からよく自転車で遠出して遊びに行ってた馴染みのあった街。
そんな松戸にパラエストラができるという知らせに「コレだ!」と入会することを即断し、入会に至った次第です。
同じ小岩在住の友人を誘って、2人でジムを訪問してまずはクラス見学。
当時は今のように曜日ごとにクラス内容が明記されてなくて、行ってからその日にやることがわかるシステムで、確か修斗クラスかなんかで柔術はやってなかったと記憶してます。
そのときにいまはTHE BLACK BELT JAPAN OKINAWAの代表で、UFCファイター・平良選手の師匠として知られる松根良太くんと初対面し、、当時はまだ高校生だった松根くんは胸に「SHIROI」って書いてある薄汚いTシャツ姿で練習してて、軽快なマット運動でビョンビョン飛び跳ねてました。
もともとただのプロレスファンで運動経験はないに等しかった自分は「こんなのは無理だ」と入会を諦めかけました。
自分がやりたいのは柔術であって、修斗は見るもの、という感覚だったので、コレじゃない感を胸に秘めつつ、一応は最後まで約2時間ほどの練習を見届けました。
そしてクラス見学の後にもろもろの説明を受け、「パラエストラだけど(お目当てだった)中井祐樹のクラスはないこと、ジム代表は柔術はほぼやったことないけどプロシューター(クラスB・当時は勝ち星なし)なこと、キックのジムにもいたこと、そして九州か何かの総合格闘技大会で優勝してることなどを聞きました。
パラエストラ=中井祐樹の指導が受けられるもんだと思ってたのに違うのか!とがっかりしつつも、とりあえずはやってみるかと思い、その場で入会手続きを終わらせて、晴れてパラエストラ門下生になったのです。
記憶が確かならば会員番号は44番とかで、パラエストラ松戸はプレオープンが9月で正式オープンが10/1~、そして10月中に入会すれば入会金無料!とのことで、それに間に合うように10月末に入会しました。
そしてパラエストラ松戸で柔術を始めて、2004年に地元の小岩にパラエストラ小岩ができて移籍し、2006年にパラエストラ葛西ができてクラスを任され、2009年に代々木でミューズ柔術アカデミー(当時はスマック格闘技スタジオ@MUSE)ができて、そちらでも指導を始め、という感じで今に至ります。
自身の柔術のキャリアに関してはまだまだたくさんのエピソードがあり、枚挙にいとまがないので、また機会があったら記していきます。
とりあえず、これからも細く長く、カラダが動き限りは末永く柔術を続けていきたいと思ってますので、今後ともこのJiu Jitsu NERDのサイト共々、よろしくお願いします。
※画像は2004年の秋に青帯となったときのもの。
