ホレッタスイープの元祖 ホベルト“ホレッタ”マガリャエス
ホレッタスイープの元祖 ホベルト“ホレッタ”マガリャエス
BRAZIL 2025

ホベルト・マガリャエスは通称ホレッタとして知られており、90年代に栄華を誇ったグレイシー バッハにおける重量級のエースだった男。
自身のニックネームであるホレッタ(ポルトガル語でルーレット)の名を冠したスイープは、足を大きく広げて回転し、その反動で相手を返していくダイナミックなテクニックで、これでかのヴァリッジ・イズマイウをスイープして勝利、記念すべき第1回目のムンジアルを制している。
このムンジアルの1週間前に黒帯昇格したばかりだったホレッタだが、周囲の期待を裏切ることなく見事に優勝を果たし、その後もムンジアルを4度優勝した。
そして2002年にはムンジアル王者の肩書を引っ提げて来日し、東名阪でセミナーツアーを行い、さらに教則本も発売している。

2003年に発売された今作はベストセラーとなり、増刷を重ねた。

ホレッタの2冊目はホレッタスイープ以外のテクニックも多数紹介され好評を博した。
その後、2002年に“マルガリータ”ことフェルナンド・フォンテスとの新旧ムンジアル王者対決のスーパーファイトを戦って勝利を収めてから現役を引退し、その後は指導に専念しつつも、柔術以外の分野でも活躍し始め、いつしかその名を聞くことも少なくなっていた。
そんなホレッタをブラジルにてキャッチ、近況を聞いた。

──お久しぶりです。実際に会うのはかれこれ20年ぶりぐらいですね。
ホレッタ:ほんとだね。前に会ったのはムンジアルの会場でだったかな? いまはムンジアルもアメリカ開催になり、会場に行くこともなくなってしまったよ。
──ですが、ホレッタはビジュアルもそんなに変わらずお元気そうで何よりです。
ホレッタ:そうかい? 自分では随分と老けてしまったと思うけど、そう言ってもらえるなら嬉しいよ。まあ昔から老けて見られることが多かったから、いまもたいして変わらないのかもしれないね(苦笑)。
──今日はセミナーに向かう前にイパネマに寄ってもらって、こうして会ってるんですが、いまも指導はされてるんですね。
ホレッタ:ああ、そうだね。今日はこれからフロリパ(フロリアノポリス)にセミナーしに行くところなんだ。でもこうやってセミナーなどに行くようになったのはこの数年のことなんだよ。
──そうだったんですね。指導からは離れてたのですか?
ホレッタ:実は柔術のキャリアがひと段落してからはエンジニアとして働いていたんだ。もともと1つのことを集中して追求していくのが好きな性分でね。この性格が柔術にも活かされていたんだなと思うんだけど、2000年代中頃からは柔術よりもエンジニアの仕事に重きを置くようになっていたんだ。
──それがどうして柔術にカンバックしたんでしょうか?
ホレッタ:柔術から離れていた間も相変わらず練習はしていたし、たまに自分のジムでも指導はしていたよ。ただ、ライフスタイルのメインではなくなっていたというだけでね。昔も今も変わらずにリオデジャネイロのアトランティコスールにあるジムは健在だし、存続している。ただあるべき場所に戻った、そんな感じかな?
──ホレッタといえばホレッタスイープが有名で、日本でも教則本を2冊を出してベストセラーになりました。
ホレッタ:あの本はセミナーツアーで日本に行ったときに作ったんだよね。急遽制作が決まり、スケジュールの都合上、帰国日の早朝から大急ぎで撮影して午後には終わらせたんだったな。
──そうです。あなたがどうしてもディズニーランドに行きたい!と言い出して、帰国日の午後には撮影を終わらせて、ほんの1~2時間だけディズニーランドに行き、それから空港に向かって帰国したんですよ。
ホレッタ:そうだった(笑)。いま考えると無茶をしたけど、初めての日本でやりたいことがたくさんだったんだ。セミナーツアーも楽しかったし、ディズニーランドも短い時間ながら行けてよかった。いい思い出だよ。
──いまもエンジニアをやりつつ指導、そして子育てにも励んでいるとか。
ホレッタ:そうなんだ。子育てに関する本も出したんだ。子育てには柔術にも合い通ずる部分もあって、そういうことを書いている。なかなかの売れ行きで2冊目も執筆中なんだ。
──ホレッタは柔術だけでなくエンジニアとしても成功し、さらに文筆業で才能を発揮してるとはさすがです。
ホレッタ:ありがとう(笑)最近は前よりも頻繁に指導していて、週に2~3回はジムで指導しているし、こうやってセミナーに行くこともある。またいつか日本に行ってセミナーをやる機会があったら嬉しいね。
